プロローグ |
2022-04-03 Sun 16:57:34 |
「
その5」で
とりあえず完了とした
一番大きなあらすじですが、
その後引き続きの
心の
変化への
小さな、しかし
結果の
心境変化としては
極めて大きな一歩があったので
書いておきます。
まあ
これが
僕の
執筆での、
僕自身の
心の
歩みでの
境地変化について
伝える、
恐らくは
ゴールになるのではと思うのですが・・(まあ
何があるか
分かったものじゃないのが
人間の
心の
変化の
可能性として^^)
還暦を迎えた2021年の秋が深まる頃、執筆に向かうことにどうも焦燥感と抵抗感が伴うようになり、自己分析するに、この執筆が自分にとり「魂の世界」とのもののはずだが進んでいないという感覚なのだが、「魂たち」は実は僕の執筆の内容については関心なく関知してさえいない、ただ僕が一日一日を楽しく過ごした時拍手して喜ぶ、と感じる。
同時に、今まで自分がその中にあったからこそこの執筆活動に充実感を感じていた、「人生という課題の途上」という感覚が消えたのを感じる。自分はもうその課題の中にはいない。それはまるで、今までいろんなことがあった、いろんな課題にぶちあたって苦しみ乗り越えてきた、それが「宇宙」での出来事として、今、「宇宙の外」に抜け出てしまった感じ。宇宙にはぶつかって課題となる星や惑星、星雲や銀河といったさまざまなあまたの事柄があるのだが、今、宇宙の外には何もないフラットな幸福感だけがあるという感じ。そしてこの何もないフラットな幸福感が心地よく、宇宙の中のことにはちょっともう関心がなくなってきているような・・。先に、自分の心の軌跡について「つぶさにたどり直してみることを長い残りの人生で楽しんでいきたい」と書いたものの、もうそんな気にもあまりなれないような・・。
ただまあ、根本的な心の変化を経て変遷する心の成熟の歩みのゴールとしてこんな境地にも至るというのは、ハイブリッド心理学の主旨に沿ったものでもあるのだろうと。
そして今はこう感じています。もうこの執筆活動は「ライフワーク」ではなくなった、と。ライフワークは、一日一日を楽しく過ごすこと。その内容とは、生活つまり「生きるという活動」そのもの。寝食があり、クラシックギターやジグソーパズル、洋服好きによる仕立て直しやら手染めやらといった作業、そして山を歩くこと。そうした即時的に興が乗り楽しめることにまずは心を任せ、「この時間をすごす」ことを、いつまでも・・。
一方で、これだけの沢山の変化の歩みが人の心にあること、そしてその仕組みを伝えることには意味があるのだろうし、残りはライフワークというというより「終活」のような感覚で進めるのが良いだろうと。 |
ということで、
日常的に
向かう作業では
なく、
完全に
不定期になる
形で、この
執筆活動を
続けていく
感じですp(^^)q
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私にあった「心の問題」そしてその解決とは何だったのか-4
プロローグ |
2021-11-26 Fri 15:15:43 |
他者との間にできた「透明な分厚いガラスの壁」
恐らく「乳飲み子の頃の放置」が
発端由来であったであろう、
私の
「心の問題」の
最も奥深くに
核心として
あり続けたもの。
それは
一言で、
「他者との間にできた透明な分厚いガラスの壁」とでも
言えるものだと
感じています。
それによって
私は、
「人と親密になれないという病」「人と馴染む、人とうちとけることができないという病」を、この
生涯において
抱えたのだ、と。
まずそれが
どのようなものかと
実感的に
表現するならば、こんな
心の
動きです。
一人で
すごしていて、また
回りに
多少人がいる
中で、
活発に
動く心。だが
人との
距離がある
一定を
超えて近くなった時、
心は、
聞き慣れぬ物音を
耳にした
小動物のように、
ぱたっと
動きを
やめ、
戸惑い、
少し心もとなげに
止まってしまう。そんな
感じの
心の
動き。
そして
心は、
「人と馴染む」「人とうちとける」そして
「人と親密になる」ということを、
いつまでもしないままでいるのです。
分厚いガラスがあって
妨げられているかのように。
結局この
心の
あり方が、
生涯において
変わることが
なかった。それが
私の
人生だったと
感じます。
そんなものとしての
「分厚いガラスの壁」が
他者との
間に
あり続けたのが、
自分の
人生だったと。
一方で
言えたのは、その
分厚いガラスの壁は、
限りなく透明でもあった、ということです。
人の
様子も、そして
自分自身の
感情も、
ありのままに、
歪めたり
偏ったりすること
なく、そして
繊細に
見えていた、と
感じます。この点
世の人に
結構ありがちなのは、
人との
間には
薄いビニール程度の
仕切りだけがあり
人と
慣れ親しむことが
結構容易にできても、
人や
自分自身のことをその
薄いビニールの
偏り歪んだ色を
通してしか
見ることが
できていない、という
ケースかもしれません。
「ヤマアラシのジレンマ」という
言葉を
聞いたことがあります。
相手と
近づきたいけど、
近づくと
トゲのある
態度で
傷つけあってしまう。
私の
場合は
そのようなものでも
ないと
感じます。
親密といえるように
近づいた時、ただただ、
心が
停止するのです。
戸惑っている小動物のように。
一方で
相手と
近づきたいという
気持ちは、
やはりあった・・というか、
互いが近づき楽しみ合い喜び合っているという
姿、つまり
「愛」への願望の感情は、
人との
間に
分厚いガラスを
抱えた心と
折り合いをつけるよう
静かなものへと
抑えられるよりも、まさに
折り合いを
つけるのとは
全く逆に、その
人との間の
分厚いガラスの
ない姿への
憧れと
羨望を、
幼い心に
芽生えさせることになったのが、
私の
人生の
始まりだったと
感じます。そんな
心の
構図など
自分で
意識しようも
ないまま。
もの心つき
始めた時に
私の
心の
前に
開かれた人々の
世界は、
このように
映ったものだと
イメージされます。
皆が
笑い合い喜び合っている。でも
どうやってそうなれるのか、
分からない。
人々の
喋る言葉の
意味は、
次第に
分かってくる。でもそれが
どんな風に、
そんな風に
面白いことなのか、
分からない。
自分も
そんな風で
あれればいいのに。
こうした
心の
あり方は、
「愛」への
願望を
抱いて生き始めた、そして
生き続けた・・その
願望自体はその
分厚いガラスの
壁に
妨げられることを
免れ、
健全な
力強さを
保ったものとして、と
言えるでしょう、そんな
一人の
人間を、
結果として、その
願望においては
「悲しみ」「失意」そして
「絶望」へと
向かわせるであろうことが
必至とも
言えるものであった、と
感じます。
それが
島野の
人生だったわけです。その、
「嘆き」と
「悲しみ」そして
「絶望」に
おおわれた人間の
姿を、
私は
憶えています。・・いやこの
表現は
少し奇妙と
言えるかも知れません。それは
もちろん自分のことなのですが、
同時に
別の
人間の
話のようもでもあります。
事実私は
今そうした
「嘆き」「悲しみ」「絶望」の
感情そのものを、
心の
中で
味わいなおすようには、
思い出せなくなってきています。
あるのは、そうした
感情に
おおわれた人間の、
イメージの
記憶です。
今こうして
自分の
人生の
歩みについて
執筆する
スピードが
遅くなっているのも、そうしてもう
普段は
思い出すこともない
心の
世界の
イメージの
パズルを
取り出して整理するのに、その
都度結構な準備が
頭の
中で
必要になるからです。
最近「ジグソーパズル」が
趣味に
加わり、ますます
時間の
取り合いでもありますが、この
執筆作業は
ジグソーパズルに
似て、
パズルが
うまくかみ合って「文章」が
出てくるためには、
闇雲に
ピースを
かみ合わせてみるのでは
なく、
ピースを
事前に
整理することが
大切です。
全く同じです。しかもこの
執筆の方は、
実際の
「ジグソーパズル」が
ピースを
すぐ目の前に
できるのに対して、
目には
見えない心の世界の
パズルの
ピースを
記憶から
取り出すことから
始めなければ
ならないのですから。
僕にとってこの
執筆作業は、
僕が
趣味とする
ジグソーパズルの、
一番難しいものなのだと
考えたりしています。
でもまあ、そうして
少し思い出せなくなったほどであるから
こそ、そこにおける
変化の
節目の
おりおりに
自分の
心に
現れた
感情と
思考の
展開は、
僕自身にとっても
何よりも
味わい深いものであるだろう。
僕はそれを
膨大な
日記の
中から
拾い出し、ここに
載せていこう、と。
話を
戻しましょう。
「他者との間にできた透明な分厚いガラスの壁」が
始まりの
核心となった
私の
心の
問題は、
どうなったのか。
結論から言えば、この
人との
間の
分厚いガラスの壁は、
最後まで
消えることは
なかったのです。
今も
あります。
ただ、
今ではこの
人との
間の
分厚いガラスの壁は、
自分が
人生で
得た「幸福」、
特にそこにおける
「安全」を
構成する
重要な
プラス要素でもあるように
感じています。それを
守る、まさに
防護壁のようなものとして。
無駄に
人に巻き込まれるということが
全くありませんので。
そして
今私は、
乳飲み子の
頃の
放置が
青写真になったかのように、
一人で
生きる世界にいる。
「幸福感」の
中で・・。
ただこの
「幸福」そのものは、その
分厚いガラスの壁の
プラス面を
うまく生かすことが
作り出したというものでは、
全くなかったわけです。
その3に
載せた述懐での
「一人でいるのが好きな体質に育ったのであれば、一人で楽しく過ごす時間を増やせばいい」というものの
成果によるものなどでは、
全くなかったわけです。
あくまで、
「愛」への望みへの
前進を、
生涯を通して
まっとうできた
結果です。これについての
心理学的な
理屈は
サイトの方で
最近書き上げた「
辞典 - 「愛」への理解と価値観と取り組み - 「愛」への理解」で
詳しく書いていますが、
あまりに
複雑多項の
話ですので
こっちのブログを
読む準備とする
必要は
ありません。
ごくごく実感として、
私自身の
人生の
歩みとして、この
心の
問題の
始まりの
核心が、
どのように、
「問題」であることを
終えたのか・・
「幸福」の
中へと・・、その
ポイント、
出口への
鍵となったもの・・
初恋女性の
存在ということにになりますが・・の
位置づけなど、
しみじみ振り返るものを
もう少し書いておきます。
私にあった「心の問題」そしてその解決とは何だったのか-3
プロローグ |
2021-11-12 Fri 07:54:28 |
私の「心の問題」そしてその解決の核心とは何だったのか
自分では
克服できなかった、
外部からもたらされた
悪影響。
一方で、やがてそれを
「自分」を
超えたものが
超えさせていった
歩み。
その
核心は
何だったのかを、
私は
今こう
振り返ります。
問題の
発端は
もちろん、
「幼少期」に
さかのぼります。・・いや
「もちろん」という
言葉を使うことには、「
幼少期より
もっと後の
人生時期の
問題から起きる
深刻な
心の
問題もあるのでは?」という
問いが
出されるのが
浮かびます。
これについては、まず
克服への
取り組みは
同じだというのが、
十分検討して
良いものになるでしょう。
まずは
自分の
心自らが
作り出す問題の
克服に
取り組む。そこでの
「成長」を
足場に、
さらに、
来歴で
外部からもたらされた
困難な
悪影響部分にも
取り組んでいく。
一方、
「幼少期」の
否定的体験に
端を発する
根深い心の問題が、
「思春期」に
表面化し
心の
バランスが
崩れる様子が
現れてくる。そして
「青年期」がしばしば、そこにおける
「心の病みの傾向」を
脱する試練の
時期となる。それを
越え、
多少の
安定を得た
人生を
歩むようになったとしても、
何かの
心の
闇を
底に
抱いた人生は
続くかも知れません。しかし
そこからさらに続く歩みに、やがて
「答え」が
示される道もある。
ハイブリッド心理学はそのような
ケースに
着目した
心理学であり、もちろん
私自身がそのような
体験をしたことを
整理した
心理学です。
このケースが
全てとは考えて
いません。ただ
「心の問題を抱えて生きる人生」というものにおいて、
結構な
大きな類型になるのではと思います。そうしたものに、
この心理学が
役立つかも知れない。ただ
それだけの
意義において、
私は
この心理学を
発信しています。
話を
戻しましょう。
私にあった
「心の問題」そしてその
解決の
核心とは、
何だったのか。
私に起きた
心の問題の
内容そのものについては、
このあとで
詳しくつづっていくとして、ここでは、そうして
起きた心の問題の由来の、そしてその
最終的な解決の、
一番の
核心は
何だったのかについてです。
全ての
問題が
終わったと
感じる今だからこそ
感じるものとして。
それは
私が
この心理学の
発信活動を
始めた時にも
見えてなかったことです。
どう見えてなかったかを
端的に示す
文章が、他ならぬ
最初の
出版本、
私の
前半生について
つづったと言える
『悲しみの彼方への旅』の
中にあります。
幼少期の
自分の
様子をつづった
文章であり、
冒頭の方に出てきます(P.14)。
私の
「心の問題」の
発端に
関連する
文章を
太字にしています。
・・(略)・・
地方の中都市の一家族で、私は次男として生まれました。上に一つ違いの兄、下に妹の3人兄弟です。
容貌や才能には結構恵まれて生を受けることができたようです。取り上げた産婆さんから、こんな頭の形のいい子はいない」と言われて生まれ、顔立ちの良さと、特別な頭の良さをよく誉められる幼少期を送りました。家もまあ普通の家庭。小学校では「算数はかせ」「理科はかせ」と呼ばれ、当時は今時ほど問題になるいじめもなく、近所の友だちともよく遊んでいる、なにごともない生活を送っていた少年の私がいました。
一方、今でこそ平和で仲も良い私の家族ですが、私の小さな頃はちょっと歯車が狂っていたところもあったと思います。中間子ということで親の目も離れたところがあったのでしょう。乳飲み子の頃も放つておかれたことが多かったと、母から謝られるように聞いたことがあります。
「基本的信頼感」があまり育たなかったのだと思います。私の人生での最初の記憶は、3歳頃だったか、毎夜のように見る、決まった内容の悪夢です。空から何か大きな得体の知れないものが降りて来て、同時に足元の地面が消えていて、その中で自分は何かを怯えているi。そんな奇妙な悪夢でした。
やがて家族の中の歯車の狂いは、小さな私の心の中に増幅して吸収されていったようでした。親からのちょっとした厳しい躾などの中で、自分だけが悪い子で、どうせ自分は駄目なやつなんだ、という気持ちが育っていました。
そんな私にとって、顔立ちや頭の良さを誉められることは、何か安全を感じることのようではあるけれども、決して心を満たすものではありませんでした。むしろ大人のその言葉に、浅はかさと、軽い嫌悪感を抱いていたのを憶えています。
なにごともない平和な外面の一方で、孤独感を心の中に抱き続けた小さな少年の私がいました。
・・(略)・・
「孤独感」は、
心の問題の
発端由来という
よりも、その
結果として
私が
意識したものの
始まりの
一つです。
「発端由来」については、
主に
2つが
考えられることになります。
乳飲み子の
頃、
よく放っておかれたこと。これについては
実際どんなことだったのか、
当然でしょうが
記憶は
全くありません。これは
「母由来」の
問題と
言えるであろう
構図です。そして
もう一つが、
「親からのちょっとした厳しい躾」。これは
記憶に
残るものです。
その中で
ただ泣くことしかできなかった
子供の
自分。そこからやがて、
「自分だけ駄目な子なんだ」という
意識が
芽生えていったこと。
イメージを
浮かべるとちょっと
じんとしますが、
記憶に
残っているものです。
詳しい叙述の方で分かると思いますが、こっちは
どちらかというと
「父由来」の
構図です。
ですので
私は、
私自身の
「心の問題」の
発端を、主に、「
記憶」にも残る
「父由来」の
「ちょっとした厳しい躾」に
あったと
考えていたのです。
長い人生の
歩みの
中で。
執筆活動を
始めた時も。
しかし
全ての
問題が
消えた今、それは
違うと思うのです。
私の「心の問題」の本当の核心の発端由来は、「乳飲み子の頃の放置」にあったのだろう、と。
「ちょっとした厳しい躾」を
発端として
抱くようになった、
「自分は駄目な存在」というマイナス感情は、そうした
否定的体験による
マイナス感情を
材料にして、
自分自身の
心で
作り上げたものにすぎなかった。
自分自身の
心で
作り上げたものであるからこそ、やがてそれは
自分で
克服できたのです。
一方
「乳飲み子の頃の放置」に
由来するであろう、
私が
人生で
抱えた心の問題については、
上記引用の
「「基本的信頼感」があまり育たなかった」というような、
消極的表現による
自己認識に
とどまっていました。
執筆活動を
開始し、
『悲しみの彼方への旅』の
ドラフト原稿を
書き始めた
時、
自分の
心の
変化について
大学時代の
親友に
語るという
形式で
幼少期について
述懐する
文章など書いており、そこではこんな
表現をしています。
日記に
準ずるものとして
エピソード編にのせたいと思いますが
抜粋しますと、
・・(略)・・母は家計の手助けの内職で忙しく、その間隣の母屋の祖母のところに僕を預けたらしいけど、可愛がられるわけでもなく放っておかれ、僕はよく泣いていたらしい。祖母は「よく泣く子だよ」と怒っていたと。
母はこのことを、僕が中学生の頃だったか、「悪いことをした」と言っていたけど、僕にその当時の記憶があるわけではなく、謝れてもどうにもならない話だね。
・・(略)・・まあ、僕の場合あまり大袈裟なものではないのだけど、「基本的信頼感」ができなかったということはあるかもしれない。基本的に一人で自分の好きなことをしているのが好きだからね。
だけど、これが「体質」みたいなものに根付くとしても、それが後の精神的な不安定とかの原因になって、その人は不安を抱いた一生を送る、なんてことはないはずだよ。一人でいるのが好きな体質に育ったのであれば、一人で楽しく過ごす時間を増やせばいい。むしろ本当はそうでないのに、「いつも人と一緒にいるのが楽しい性格」とかに自分を押し込もうとするような力が働いてから、「心の問題」が起きると思うんだ。
とにかく、記憶にないような自分の生育環境のせいで一生不幸だなんてことないはずだね。もしそう考えている人がいたら、本当の原因は別のところにあるのだよ。
でもまあ、小さい頃の自分に、漠然とした不安が底流のようにあったのは、そんな生育履歴が影響していたのかも知れない。
これは
私の
人生の
歩みとしては、
壮年期の
後半になって
「自分の心自らが作り出す悪影響」の
完全克服へと
至り、
心で
開放された、
あまりにも
力強い前進力に乗って
前半生の
停滞を
挽回できるような
人生の
開花へと
向かおうと
立ち上がった、まさにその
時の
述懐です。
その
時、
「乳飲み子の頃の放置」がもたらした
悪影響の
核心そのものを、
私はまだ
直視せずにいたということになります。それをちょっと
脇に
置いたまま、
自分の
人生の
成功へと
向かおうとした。まあ
実際、それが
多少の
重しではあったとしても、その
時の
前進力の
強さで
ものともせず前に進めるような
気もしていたと言えます。
サイドブレーキが
軽くかかったままでも
アクセルを
強く踏めば
車は
結構軽々と
前に
進めるように。
これはそうした
流れになるのが
一つの
道だということです。
その2で言ったように、
自分の
心自らが作り出す
悪影響を克服するまでが
人生の
前半であり、この
述懐をしたのがその
節目です。そこで触れた
「自分を押し込もうとするような力」を
脱するというのがまさにその
骨子になるものとして。
そこから、
自己の
人生への
まい進が
順調に
進むことによる
「幸福」へと
至るケースもあるだろう。そう
なれなかったケースにおいて
さらに歩むものとして、
自分では
克服解消できない側面を
「自分」を
超えるものが
超えさせていく、
神秘の
心の
道が
あり得る。この
流れの
ポイントについては「
一番大きなあらすじ-3」でも
触れています。
私の
場合も、
自分の
人生の
開花として
絵に掲げた
「執筆活動の成功」は
ほどなく不達が
明瞭となり、
私の
心の
前進力は
停滞し始め、
心に
かかり続けていた
サイドブレーキの
正体を
見据える時が
訪れる、ということになったわけです。その
発端由来の
時の
記憶は
なく、
私の
「心」はその
問題がすでに
できた後に
始まった、そして
私の
心自身では
乗り越えることの
できない、
私が
人生で
抱えた「心の問題」の
最も底深くに
あり続けた核心が。
その
正体とは
何だったのかを次に。
私にあった「心の問題」そしてその解決とは何だったのか-2
プロローグ |
2021-10-28 Thu 09:24:02 |
私たち人間の「心の問題」・・・
「心の問題」に
限らず、
何かの
「問題」があった時、その
本当の
問題の
核心やその
原因そしてその
克服へ
答えといったものは、その
問題を
本当に
解決できた
時にこそ、
解決できた
範囲において、
正しい答えが
言えるということになると思います。
つまり
逆に言えば、その
問題を
本当に
解決できていないまま
「これが解決への答えのはずです」「私はこれが答えだと信じています」といった
言葉が
感動的に
述べられることがあったとしても、それが
本当に
正しい答えなのかは
やや不確定だということになるのだろうと。
そうして、
私が
自分の
心の
問題の
探求へと
舵を切った
大学2年の
時には
見えていなかった、
私自身の
心の
問題の
本当の
核心、その
全てが
見通せるようになったのは、
問題の
全てが
最終的な解決克服へと
向かい始めた、
「壮年期」の
後半、
50代以降になってきてからでした。
私が
自らの
心理学の
整理を
始めたのは
40代になった
頃からであり(
一番大きなあらすじ-3)、その
段階では
心に
見える主要な問題の核心とその
克服が
把握できたものであり、
一方そこで
残された最も深い問題の
核心とその
最終的な解決克服が
見えるまでに
さらに10数年を
要したという
形になります。
これはつまり、私たち
人間の
「心の問題」はかなり
多くの
要因から
成るものであり、その
中にはかなり
年齢的歳月を
積み重ねて
人生も
終盤になって
分かることもある、ということになるでしょう。
その
心理学的な
理屈としての
整理は
心理学サイトの方に
任せ、この
『日記ブログ』では、
私島野の
個人的事例記述が
目的であり、その
補助とする
範囲で、
私自身が考える
心理学的理屈として
どういうことだったのかという
話も、
私の
心理学での
用語などは
できるだけ使わず触れていきたいと思います。
するとまず、
私が
人生で
抱えることになった
「心の問題」・・これは
同時に、
現代社会において
多くの
人が
抱えてしまうものでもあると思いますが、それは
何なのかと考えるならば、
感じる印象として、
人間というのはその
「弱点」として、
「心を壊しやすい動物」ということだなと。
私の
心理学は
「動物学」を
強く念頭におく
心理学であり、また
好きでよく
TVの
動物番組を
見るのですが、
動物はその
種ごとに、
何か身体的に
壊しやすい弱点の
部位がある。よく
取り上げられるのは
ペットになる
犬や
猫ですが、たとえば
胴長の
ダックスフンド犬や
猫の
マンチカンはやはり
腰に
弱点があり
椎間板ヘルニアにかかりやすいとか。あと
犬や
猫の
種類ごとに、たとえば
心臓や
腎臓に
障害を持つ
ケースが
多いとか
聞いた記憶が
不確かですがあります。
飼い主への
注意を
促すものです。
そうした
動物の
種類による
弱点として、
人間は、
「心を壊しやすい」。そんな
動物だと
感じます。
「何かの否定的体験によって心を痛めやすく、そして、痛んだ心によって、自らの心を壊していってしまう」。そんなものとしての
「心の壊しやすさ」が、
人間という
動物の
「弱さ」だと感じます。
つまり、私たち
人間の
「心の問題」とは、
否定的体験による悪影響と、
自分の心自らが作り出す悪影響、この
2つの
相乗としてあるものだ。これが
島野の
心理学、
ハイブリッド心理学の
基本的な
考えです。
その
結果、
「克服」については、
自分の心自らが生み出す心の悪影響側面により強い焦点を当ててその克服にまず取り組むことに
主眼を
置くものに
ならざるを得ないでしょう。
自分の
心自らが
生み出すものであれば、
自分自身によってその
解消克服が
可能となる
範囲があるはずですし、
否定的体験による
悪影響だと
感じていた
問題側面でさえ、そこに
入ってくるかも知れません。そしてそもそも、
自分の
心に、
確かに、
過去の
何らかの
否定的体験による
悪影響があることが
事実だとして、その
過去の
否定的体験そのものを
変えることは
できないのですから。
だからとにかく、私たち
自身の
心に
問題が
あることを
自覚した時、私たちはそこにある、私たち
自身の
心自らが
作り出している
問題側面に
取り組んでいくしかないのです。
私は
今「ならざるを得ない」という
言い回しをしましたが、これは
ある含みを
持つものだと言えます。それは、
実際のところそうした
「心の問題」として、
否定的体験による悪影響として
最後まで自分では克服解消できない側面も
あり得る、ということです。それについては、
どうしようもない。
そして
今でこそ言えるのです。私
島野の
場合もそうだったのだと。その
悪影響とは
何であったのかも。
一方、そうして
最後まで
自分では
解消できなかった悪影響が
あった上で、
心は
今、
ナイマス要素がほぼゼロの境地に
至った。私たち
人間の
心にはそうなる
仕組みも
用意されている、というものを
含むものであるところにこそ、
私の心理学の
意義があるのかも知れません。
「心」と「魂」と「命」
その
心の
仕組みとは
どのようなものか、
一言でこのように言えます。まず
自分の
心自らが
作り出す悪影響に
取り組み、それを
克服し、
心を
真に
開放し、
自己の
人生へと
大きくまい進するのです。
自分の
心自らが
作り出すものでは
ない、
本当に心の外部からもたらされた悪影響が
どのようにあるのか
見分けられるようになるのは
そこからであり、
しっかりとそれに
向き合い続けた時、
自分では克服解消できない側面を、「自分」を超えるものが超えさせていくのです、と。
2つの
要点を
記しておきましょう。まずこの
心の
仕組みの
働きは、
人生の
全体を通して
歩むものであること。まず
自分の
心自らが
作り出す悪影響を
克服するまでが
人生の
前半、
自己の
人生への
まい進の
中で、
自分では
克服解消できない側面を
「自分」を
超えるものが
超えさせていくというのが
人生の
後半になる、というような
形でです。
このことを
踏まえた時、
上で
「人間は心を壊しやすい動物」だと
述べたのに
続くこととして、
こう言えるのだということです。
「心の問題」というものが起き、それを抱えて生き、その克服へと歩むことは、私たち人間の「人生」に元から組み込まれていることなのだ、と。ただ
外部からもたらされた
否定的影響の
問題としてあるものでは
なく、です。
「心の問題」の克服の、全ての一歩一歩が、「成長」としてあるということだとも言えます。このことを
忘れた時、
人は
「心の問題」の
渦の
中で
溺れてしまうのだ、とも言えるでしょう。
もう
一つ、
今「自分を超えるもの」と述べたものとは
何か。それが
このブログの
表題にも
記している
「魂」であり、そして
「命」です。
それが、私たちが
普段「自分の心」として
意識し、
働かせているものとは、
異質な
別の
世界のものとしてある、ということです。
私たちの
「心」の
奥底に
眠っている、
もう一つの
世界、とも
言えるようなものとして。
前述の通り、この
心の
仕組みの
詳しい考え方などについては
心理学サイトの方に
譲り、この
日記ブログは
私としての
事例記述に
徹するという
前提で、
最低限踏まえておく
必要のある
理屈事項については
詳しいあらすじ編などで
触れていきたいと思いますが、
ここでまず
これを
指摘したいと思います。
今
「否定的体験による悪影響として最後まで自分では克服解消できない側面」、そしてそれを
「自分を超えたものが超えさせていく」というのは、私たちの
出生における
「魂」に
起きた問題によるものであり、そして
のちに、
「魂」との
向き合いとして
歩んでいくものなのだということです。
このことを
踏まえて、
私の
場合の、
「否定的体験による悪影響として最後まで自分では克服解消できなかった側面」が
何であったのか、そしてそれを
「自分を超えたものが超えさせていく」という
歩みが
どのように
生まれたのか、その
核心を
かなり絞ることができるように
感じています。
この
結論として
今感じるものを次に。
私にあった「心の問題」そしてその解決とは何だったのか-1
プロローグ |
2021-10-13 Wed 09:17:56 |
経緯を振り返って
私の
人生について
多少詳しいあらすじを書く
前に、
私の心に起きた問題とは
結局何だったのか、そしてその
克服解決とは
何だったのかについて、
少し振り返っておこうと思います。
印象深く思い出すのは、
心理学へと
進路を切った
大学2年の
頃の
自分です。
大学1年、
高校時代の
対人恐怖を
振り切り、
「躁の時代」と
自ら名づけた
高揚状態の
中で
生きていた
自分に
訪れた、
意識破綻へと
陥る出来事。
自分の心には何か問題がある・・。そう
はっきりと
自覚し、
心理学、
精神分析学、
精神病理学、
脳生理学を、
むさぼるように
勉強し
始める
(*)。まあこれは
冗談ですが、
その時の
勉強の
姿勢と
量で
受験勉強に
向かっていたら、
東大医学部だって
行けたのではなかったかなと。まあともあれ、
その頃の
自分を
思い出すと、「
4つの「別の人間」を生きた人生」でも
触れましたが
何かじんとくるものがあります。
*『悲しみの彼方への旅』 P.40
いずれにせよ
その時、
私の
目には
何も見えていなかったわけです。
自分の
心にある
問題の
正体も、その
解決がどうあるのかも。
私はそれを、
学問的探求の
先に
模索する
道を、
選んだのです。ただ、
そうする以外に
ないという、
「悲壮な切迫感」とも言えるものに
押されて。
そこで
自分の
内面に
向かおうとしていた
姿は、
外からはあるいは、
「考えすぎなのでは?」と
揶揄されるようなものでもあったように
思い返されます。何か
はっきりした問題があるようでも
ない。でも
何か問題があると
見入ろうとばかりしている。
そんなのはやめて、ただ外に向かって心を開いていけばいいのだよ。そんな
声も
聞こえてくるような。
それでも
私のその
探求の
姿勢は、
自分の
心の
中に
厳然とあった
問題を
自らあばき、
晒すことへと
向かっていきます。そしてそれから
長い歳月・・
40年の
歳月の
先に、
全ての問題が解決、克服される時が、
訪れるのです。
そうして
「自分の心の問題」に
向き合い始めた
時、いまだ
問題の
正体も
見えず、
「考えすぎでは?」という
声の
イメージも
浮かぶ中、それでも、もはや
自分の
心に
問題が
ない振りを
続けることは
できない、という
苦しみの
中に
私は
置かれたわけです。そもそも
今まで、
自分の心に問題がない振りをしようとして生きてきたのが破綻した
結果が、
それなのですから。
そこで
感じた問題を、
こう表現できると思います。
人との関係で、自分の心に、問題を感じてしまっているのが、問題なのです。そんなものは感じずに人と自然に接することができるのが、あるべき姿だった。でもそうはできなかったのです。
人との
関係の
中で
自分の
心に
問題を
感じている
自分が
ここに
いることにおいて、もう
人に
向かうことが
できないという、
厳然とした問題が
そこに
あるのです。
私が
向かうべきは、
自分自身になります。
そうして、
心に
問題が
ない振りをして
生きるのとは
まさに対極、
180度逆を
向いた、
自分の心にある問題の核心とは何なのか!と
突きとめようとする
生き方に
向かう中で、
私がまず
出会い選んだのが
カレン・ホーナイ精神分析でした。それによって、
今まで心の
中で
飛び交いながら
しっかり捉えることの
できなかった感情を
凝視し、
向き合うことへと。
心理学科のある
編入先大学での
もう一つの
出会い、
一級下の
女子学生への
恋心への
向き合いと
共に。
それが
やがて、
「躁の時代」においては
完全に
葬り去られ隠されていたような、
深い悲しみと絶望の感情を
あらわにさせ、
私は
死を
決意する
心境悪化へと
2度陥ります。その
2度の
心境悪化の
都度、
私は
偶然に・・しかもその
2度が
最後となる
形で、その
下級生の
子と
会って話す機会を
得て、
私の
心はなんとか
生き続けることへと
踏みとどまり、ただ
「意識」だけが
死ぬ時間を
経て目覚めた
時、
私の
中に
「健康な心」への
大きな再生が
起きていました。(この
顛末を
詳しく綴ったのが
最初の
出版本『悲しみの彼方への旅』です。)
つまりこれは、
進んだ道にあった
穴に
落ちてしまったのですが、
進んでいた道は
正しかったのです。
穴に
落ちたことも
含めて。ただ
絶望しきってしまったのは
誤りだった。
その
穴とは、
病んだ心が自らに絶望し崩壊し、
その後に
健康な心が再生するという
通り道です。この
仕組みについては
詳しいあらすじ編で
多少触れたいと思いますし、
心理学サイトの方で
詳しい理論的説明など
展開していますが、
心の病みの傾向というのは
そのようにして
治癒する
仕組みがあるということになります。
そこで
重要になってくるのは、
病んだ心が自らに絶望し崩壊するとして、
その後に
健康な心が再生するための芽がどう
保ち続けられているかになるでしょう。
私の
場合、それが
強く保たれていたように
感じます。
心の
中に
残され、
保たれていた、
純粋な
感情や
健康な
心への
願い、そしてただ
感情に
流される
だけではない
思考など。そうした
芽は
保たれていた一方、
意識の表面は、
穴に
落ちた絶望に
すっかりおおわれてしまった。
外部的偶然が、それを
救った。
思い返すと、何か
神の手が
働いていたようにも
思えるようなものとして・・。
そうして
健康な
心を
取り戻した体験を、
後に
自ら心理学的に
整理し、
「ハイブリッド人生心理学」と名づける
新しい心理学として
展開するようになったのが
私、
島野です。もしその
大学生当時から
この心理学を
得られていれば、
もう少し安全に(?)
健康な
心に
回復する
取り組みができていたようにも。そんな
意義を
一つの
目的に、
この心理学の
執筆発信活動を
続けています。
そうして
心の
病みの
傾向が
大きく治癒されたものの、
自分の
心の
問題として感じる
マイナス感情はまだ
色濃く、
私は
引き続きその
克服探求のため
早稲田大学大学院に
進学。
論理療法や
認知療法など
新たな心理学への
出会いもあり、
次第に
心の
状態が
上向き、
自分の
心に
取り組むためにもと、
研究室ではなく
社会に
出ることを
選択。
そこから
長い長い歳月を
経て、この「
プロローグ」カテゴリー内の
「一番大きなあらすじ」の
記事で
ごく輪郭を
まとめたように、
「老年」が
視野に
入ってきた
日々に
至り、
自分の
心に
あらゆるマイナス要素が
消えたのを
感じるという
経緯です。
そうして
全ての
問題が
解決克服されたと
感じてこそ、そこにあった
「問題」とは
何だったのかの
全てが、
今、
分かるように
感じています。
その
具体的内容について
次に。
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