一番大きなあらすじ-6
その5」でとりあえず完了とした一番大きなあらすじですが、その後引き続き変化への小さな、しかし結果心境変化としては極めて大きな一歩があったので書いておきます。
まあこれ執筆での、僕自身歩みでの境地変化について伝える恐らくゴールになるのではと思うのですが・・(まあ何があるか分かったものじゃないのが人間変化可能性として^^)

還暦を迎えた2021年深まる頃執筆向かうことにどうも焦燥感抵抗感伴うようになり、自己分析するに、この執筆自分にとり「魂の世界」とのものはずだが進んでいないという感覚なのだが、「魂たち」執筆内容については関心なく関知してさえいない、ただ僕が一日一日を楽しく過ごした時拍手して喜ぶ、と感じる
同時に、今まで自分その中にあったからこそこの執筆活動充実感感じていた、「人生という課題の途上」という感覚消えたのを感じる自分はもうその課題にはいない。それはまるで、今までいろんなことがあった、いろんな課題にぶちあたって苦しみ乗り越えてきた、それが「宇宙」での出来事として、「宇宙の外」抜け出てしまった感じ宇宙にはぶつかって課題となる惑星星雲銀河といったさまざまあまた事柄あるのだが、宇宙の外には何もないフラットな幸福感だけあるという感じ。そしてこの何もないフラットな幸福感心地よく、宇宙ことにはちょっともう関心なくなってきているような・・。に、自分軌跡について「つぶさにたどり直してみることを長い残りの人生で楽しんでいきたい」と書いたものの、もうそんな気にもあまりなれないような・・。

ただまあ、根本的変化を経て変遷する心の成熟歩みゴールとしてこんな境地にも至るというのは、ハイブリッド心理学主旨沿ったものでもあるのだろうと。
そしてこう感じています。もうこの執筆活動「ライフワーク」ではなくなった、と。ライフワークは、一日一日楽しく過ごすこと。その内容とは、生活つまり「生きるという活動」そのもの寝食があり、クラシックギタージグソーパズル洋服好きによる仕立て直しやら手染めやらといった作業、そして歩くこと。そうした即時的興が乗り楽しめることにまずは任せ「この時間をすごす」ことを、いつまでも・・。
一方で、これだけ沢山変化歩みあること、そしてその仕組み伝えることには意味あるのだろうし、残りライフワークというというより「終活」のような感覚進めるのが良いだろうと。

ということで、日常的向かう作業ではなく完全不定期になるで、この執筆活動続けていく感じですp(^^)q

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私にあった「心の問題」そしてその解決とは何だったのか-4
他者との間にできた「透明な分厚いガラスの壁」

恐らく「乳飲み子の頃の放置」
発端由来であったであろう、「心の問題」最も奥深く核心としてあり続けたもの。
それは一言で、「他者との間にできた透明な分厚いガラスの壁」とでも言えるものだと感じています。
それによっては、「人と親密になれないという病」「人と馴染む、人とうちとけることができないという病」を、この生涯において抱えたのだ、と。

まずそれがどのようなものかと実感的表現するならば、こんな動きです。一人すごしていて、また回り多少人がいるで、活発動く心。だがとの距離がある一定超えて近くなった時、は、聞き慣れぬ物音にした小動物のように、ぱたっ動きやめ戸惑い少し心もとなげ止まってしまう。そんな感じ動き
そしては、「人と馴染む」「人とうちとける」そして「人と親密になる」ということを、いつまでもしないままでいるのです。分厚いガラスがあって妨げられているかのように。
結局このあり方が、生涯において変わることがなかった。それが人生だったと感じます。そんなものとしての「分厚いガラスの壁」他者とのあり続けたのが、自分人生だったと。
一方言えたのは、その分厚いガラスの壁は、限りなく透明でもあった、ということです。様子も、そして自分自身感情も、ありのままに、歪めたり偏ったりすることなく、そして繊細見えていた、と感じます。この点世の人結構ありがちなのは、とのには薄いビニール程度仕切りだけがあり慣れ親しむことが結構容易にできても、自分自身のことをその薄いビニール偏り歪んだ色通してしか見ることができていない、というケースかもしれません。

「ヤマアラシのジレンマ」という言葉聞いたことがあります。相手近づきたいけど、近づくトゲのある態度傷つけあってしまう。場合そのようなものでもない感じます。親密といえるように近づいた時、ただただ、停止するのです。戸惑っている小動物のように。
一方相手近づきたいという気持ちは、やはりあった・・というか、互いが近づき楽しみ合い喜び合っているという姿、つまり「愛」への願望の感情は、との分厚いガラス抱えた心折り合いをつけるよう静かなものへと抑えられるよりも、まさに折り合いつけるのとは全く逆に、その人との間分厚いガラスない姿への憧れ羨望を、幼い心芽生えさせることになったのが、人生始まりだったと感じます。そんな構図など自分意識しようもないまま。
もの心つき始めた時開かれた人々世界は、このよう映ったものだとイメージされます。笑い合い喜び合っている。でもどうやってそうなれるのか、分からない人々喋る言葉意味は、次第分かってくる。でもそれがどんな風に、そんな風面白いことなのか、分からない自分そんな風あれればいいのに。

こうしたあり方は、「愛」への願望抱いて生き始めた、そして生き続けた・・その願望自体はその分厚いガラス妨げられることを免れ健全力強さ保ったものとして、と言えるでしょう、そんな一人人間を、結果として、その願望においては「悲しみ」「失意」そして「絶望」へと向かわせるであろうことが必至とも言えるものであった、と感じます。
それが島野人生だったわけです。その、「嘆き」「悲しみ」そして「絶望」おおわれた人間姿を、憶えています。・・いやこの表現少し奇妙言えるかも知れません。それはもちろん自分のことなのですが、同時人間のようもでもあります。事実私そうした「嘆き」「悲しみ」「絶望」感情そのものを、味わいなおすようには、思い出せなくなってきています。あるのは、そうした感情おおわれた人間の、イメージ記憶です。こうして自分人生歩みについて執筆するスピード遅くなっているのも、そうしてもう普段思い出すこともない世界イメージパズル取り出して整理するのに、その都度結構な準備必要になるからです。最近「ジグソーパズル」趣味加わり、ますます時間取り合いでもありますが、この執筆作業ジグソーパズル似てパズルうまくかみ合って「文章」出てくるためには、闇雲ピースかみ合わせてみるのではなくピース事前整理することが大切です。全く同じです。しかもこの執筆の方は、実際「ジグソーパズル」ピースすぐ目の前できるのに対して、には見えない心の世界パズルピース記憶から取り出すことから始めなければならないのですから。にとってこの執筆作業は、趣味とするジグソーパズルの、一番難しいものなのだと考えたりしています。
でもまあ、そうして少し思い出せなくなったほどであるからこそ、そこにおける変化節目おりおり自分現れ感情思考展開は、僕自身にとっても何より味わい深いものであるだろう。はそれを膨大日記から拾い出し、ここに載せていこう、と。

戻しましょう。「他者との間にできた透明な分厚いガラスの壁」始まり核心となった問題は、どうなったのか。
結論から言えば、このとの分厚いガラスの壁は、最後まで消えることはなかったのです。あります。
ただ、ではこのとの分厚いガラスの壁は、自分人生得た「幸福」特にそこにおける「安全」構成する重要プラス要素でもあるように感じています。それを守る、まさに防護壁のようなものとして。無駄人に巻き込まれるということが全くありませんので。
そして今私は、乳飲み子放置青写真になったかのように、一人生きる世界にいる。「幸福感」で・・。

ただこの「幸福」そのものは、その分厚いガラスの壁プラス面うまく生かすことが作り出したというものでは、全くなかったわけです。その3載せた述懐での「一人でいるのが好きな体質に育ったのであれば、一人で楽しく過ごす時間を増やせばいい」というものの成果によるものなどでは、全くなかったわけです。
あくまで、「愛」への望みへの前進を、生涯を通してまっとうできた結果です。これについての心理学的理屈サイトの方で最近書き上げた「辞典 - 「愛」への理解と価値観と取り組み - 「愛」への理解」で詳しく書いていますが、あまり複雑多項ですのでこっちのブログ読む準備とする必要ありません
ごくごく実感として、私自身人生歩みとして、この問題始まり核心が、どのように、「問題」であることを終えたのか・・「幸福」へと・・、そのポイント出口へのとなったもの・・初恋女性存在ということにになりますが・・の位置づけなど、しみじみ振り返るものをもう少し書いておきます。
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私にあった「心の問題」そしてその解決とは何だったのか-3
私の「心の問題」そしてその解決の核心とは何だったのか

自分では克服できなかった外部からもたらされた悪影響一方で、やがてそれを「自分」超えたもの超えさせていった歩み
その核心何だったのかを、こう振り返ります。

問題発端もちろん「幼少期」さかのぼります。・・いや「もちろん」という言葉を使うことには、「幼少期よりもっと後人生時期問題から起きる深刻問題もあるのでは?」という問い出されるのが浮かびます。
これについては、まず克服への取り組み同じだというのが、十分検討して良いものになるでしょう。まず自分心自ら作り出す問題克服取り組む。そこでの「成長」足場に、さらに来歴外部からもたらされた困難悪影響部分にも取り組んでいく。
一方、「幼少期」否定的体験を発する根深い心の問題が、「思春期」表面化バランス崩れる様子現れてくる。そして「青年期」がしばしば、そこにおける「心の病みの傾向」脱する試練時期となる。それを越え多少安定を得た人生歩むようになったとしても、何か抱いた人生続くかも知れません。しかしそこからさらに続く歩みに、やがて「答え」示される道もある。
ハイブリッド心理学はそのようなケース着目した心理学であり、もちろん私自身がそのような体験をしたことを整理した心理学です。このケース全てとは考えていません。ただ「心の問題を抱えて生きる人生」というものにおいて、結構大きな類型になるのではと思います。そうしたものに、この心理学役立つかも知れない。ただそれだけ意義において、この心理学発信しています。

戻しましょう。にあった「心の問題」そしてその解決核心とは、何だったのか。
に起きた心の問題内容そのものについては、このあと詳しくつづっていくとして、ここでは、そうして起きた心の問題の由来の、そしてその最終的な解決の、一番核心何だったのかについてです。全て問題終わった感じる今だからこそ感じるものとして。

それはこの心理学発信活動始めた時にも見えてなかったことです。どう見えてなかったかを端的に示す文章が、他ならぬ最初出版本前半生についてつづったと言える『悲しみの彼方への旅』にあります。
幼少期自分様子をつづった文章であり、冒頭の方に出てきます(P.14)。「心の問題」発端関連する文章太字にしています。
 ・・(略)・・
 地方の中都市の一家族で、私は次男として生まれました。上に一つ違いの兄、下に妹の3人兄弟です。
 容貌や才能には結構恵まれて生を受けることができたようです。取り上げた産婆さんから、こんな頭の形のいい子はいない」と言われて生まれ、顔立ちの良さと、特別な頭の良さをよく誉められる幼少期を送りました。家もまあ普通の家庭。小学校では「算数はかせ」「理科はかせ」と呼ばれ、当時は今時ほど問題になるいじめもなく、近所の友だちともよく遊んでいる、なにごともない生活を送っていた少年の私がいました。

 一方、今でこそ平和で仲も良い私の家族ですが、私の小さな頃はちょっと歯車が狂っていたところもあったと思います。中間子ということで親の目も離れたところがあったのでしょう。乳飲み子の頃も放つておかれたことが多かったと、母から謝られるように聞いたことがあります。
 「基本的信頼感」があまり育たなかったのだと思います。
私の人生での最初の記憶は、3歳頃だったか、毎夜のように見る、決まった内容の悪夢です。空から何か大きな得体の知れないものが降りて来て、同時に足元の地面が消えていて、その中で自分は何かを怯えているi。そんな奇妙な悪夢でした。

 やがて家族の中の歯車の狂いは、小さな私の心の中に増幅して吸収されていったようでした。親からのちょっとした厳しい躾などの中で、自分だけが悪い子で、どうせ自分は駄目なやつなんだ、という気持ちが育っていました。
 そんな私にとって、顔立ちや頭の良さを誉められることは、何か安全を感じることのようではあるけれども、決して心を満たすものではありませんでした。むしろ大人のその言葉に、浅はかさと、軽い嫌悪感を抱いていたのを憶えています。

 なにごともない平和な外面の一方で、孤独感を心の中に抱き続けた小さな少年の私がいました。
 ・・(略)・・

「孤独感」は、心の問題発端由来というよりも、その結果として意識したものの始まり一つです。
「発端由来」については、2つ考えられることになります。乳飲み子よく放っておかれたこと。これについては実際どんなことだったのか、当然でしょうが記憶全くありません。これは「母由来」問題言えるであろう構図です。そしてもう一つが、「親からのちょっとした厳しい躾」。これは記憶残るものです。その中ただ泣くことしかできなかった子供自分。そこからやがて、「自分だけ駄目な子なんだ」という意識芽生えていったこと。イメージ浮かべるとちょっとじんとしますが、記憶残っているものです。詳しい叙述の方で分かると思いますが、こっちはどちらかというと「父由来」構図です。

ですのでは、私自身「心の問題」発端を、主に、「記憶」にも残る「父由来」「ちょっとした厳しい躾」あった考えていたのです。長い人生歩みで。執筆活動始めた時も。
しかし全て問題消えた今、それは違うと思うのです。私の「心の問題」の本当の核心の発端由来は、「乳飲み子の頃の放置」にあったのだろう、と。
「ちょっとした厳しい躾」発端として抱くようになった、「自分は駄目な存在」というマイナス感情は、そうした否定的体験によるマイナス感情材料にして、自分自身作り上げたものにすぎなかった。自分自身作り上げたものであるからこそ、やがてそれは自分克服できたのです。

一方「乳飲み子の頃の放置」由来するであろう、人生抱えた心の問題については、上記引用「「基本的信頼感」があまり育たなかった」というような、消極的表現による自己認識とどまっていました。
執筆活動開始し、『悲しみの彼方への旅』ドラフト原稿書き始め自分変化について大学時代親友語るという形式幼少期について述懐する文章など書いており、そこではこんな表現をしています。日記準ずるものとしてエピソード編にのせたいと思いますが抜粋しますと、
・・(略)・・母は家計の手助けの内職で忙しく、その間隣の母屋の祖母のところに僕を預けたらしいけど、可愛がられるわけでもなく放っておかれ、僕はよく泣いていたらしい。祖母は「よく泣く子だよ」と怒っていたと。
 母はこのことを、僕が中学生の頃だったか、「悪いことをした」と言っていたけど、僕にその当時の記憶があるわけではなく、謝れてもどうにもならない話だね。

・・(略)・・まあ、僕の場合あまり大袈裟なものではないのだけど、「基本的信頼感」ができなかったということはあるかもしれない。基本的に一人で自分の好きなことをしているのが好きだからね。
 だけど、これが「体質」みたいなものに根付くとしても、それが後の精神的な不安定とかの原因になって、その人は不安を抱いた一生を送る、なんてことはないはずだよ。一人でいるのが好きな体質に育ったのであれば、一人で楽しく過ごす時間を増やせばいい。むしろ本当はそうでないのに、「いつも人と一緒にいるのが楽しい性格」とかに自分を押し込もうとするような力が働いてから、「心の問題」が起きると思うんだ。
とにかく、記憶にないような自分の生育環境のせいで一生不幸だなんてことないはずだね。もしそう考えている人がいたら、本当の原因は別のところにあるのだよ。
 でもまあ、小さい頃の自分に、漠然とした不安が底流のようにあったのは、そんな生育履歴が影響していたのかも知れない。

これは人生歩みとしては、壮年期後半になって「自分の心自らが作り出す悪影響」完全克服へと至り開放された、あまりにも力強い前進力に乗って前半生停滞挽回できるような人生開花へと向かおう立ち上がった、まさにその述懐です。
その「乳飲み子の頃の放置」がもたらした悪影響核心そのものを、はまだ直視せずにいたということになります。それをちょっと置いたまま、自分人生成功へと向かおうとした。まあ実際、それが多少重しではあったとしても、その前進力強さものともせず前に進めるような気もしていたと言えます。サイドブレーキ軽くかかったままでもアクセル強く踏め結構軽々進めるように。

これはそうした流れになるのが一つだということです。その2で言ったように、自分心自らが作り出す悪影響を克服するまでが人生前半であり、この述懐をしたのがその節目です。そこで触れた「自分を押し込もうとするような力」脱するというのがまさにその骨子になるものとして。
そこから、自己人生へのまい進順調進むことによる「幸福」へと至るケースもあるだろう。そうなれなかったケースにおいてさらに歩むものとして、自分では克服解消できない側面「自分」超えるものが超えさせていく、神秘あり得る。この流れポイントについては「一番大きなあらすじ-3」でも触れています。
場合も、自分人生開花としてに掲げた「執筆活動の成功」ほどなく不達明瞭となり、前進力停滞し始め、かかり続けていたサイドブレーキ正体見据える時訪れる、ということになったわけです。その発端由来記憶なく「心」はその問題がすでにできた後始まった、そして心自身では乗り越えることのできない人生抱えた「心の問題」最も底深くあり続けた核心が。
その正体とは何だったのかを次に。
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私にあった「心の問題」そしてその解決とは何だったのか-2
私たち人間の「心の問題」・・・

「心の問題」限らず何か「問題」があった時、その本当問題核心やその原因そしてその克服答えといったものは、その問題本当解決できたにこそ、解決できた範囲において、正しい答え言えるということになると思います。
つまりに言えば、その問題本当解決できていないまま「これが解決への答えのはずです」「私はこれが答えだと信じています」といった言葉感動的述べられることがあったとしても、それが本当正しい答えなのかはやや不確定だということになるのだろうと。

そうして、自分問題探求へとを切った大学2年には見えていなかった、私自身問題本当核心、その全て見通せるようになったのは、問題全て最終的な解決克服へと向かい始めた、「壮年期」後半50代以降になってきてからでした。自ら心理学整理始めたのは40代になったからであり(一番大きなあらすじ-3)、その段階では見える主要な問題の核心とその克服把握できたものであり、一方そこで残された最も深い問題核心とその最終的な解決克服見えるまでにさらに10数年要したというになります。
これはつまり、私たち人間「心の問題」はかなり多く要因から成るものであり、そのにはかなり年齢的歳月積み重ね人生終盤になって分かることもある、ということになるでしょう。
その心理学的理屈としての整理心理学サイトの方に任せ、この『日記ブログ』では、私島野個人的事例記述目的であり、その補助とする範囲で、私自身が考える心理学的理屈としてどういうことだったのかというも、心理学での用語などはできるだけ使わず触れていきたいと思います。

するとまず、人生抱えることになった「心の問題」・・これは同時に、現代社会において多く抱えてしまうものでもあると思いますが、それは何なのかと考えるならば、感じる印象として、人間というのはその「弱点」として、「心を壊しやすい動物」ということだなと。
心理学「動物学」強く念頭におく心理学であり、また好きでよくTV動物番組見るのですが、動物はその種ごとに、何か身体的壊しやすい弱点部位がある。よく取り上げられるのはペットになるですが、たとえば胴長ダックスフンド犬マンチカンはやはり弱点があり椎間板ヘルニアにかかりやすいとか。あと種類ごとに、たとえば心臓腎臓障害を持つケース多いとか聞いた記憶不確かですがあります。飼い主への注意促すものです。
そうした動物種類による弱点として、人間は、「心を壊しやすい」。そんな動物だと感じます。「何かの否定的体験によって心を痛めやすく、そして、痛んだ心によって、自らの心を壊していってしまう」。そんなものとしての「心の壊しやすさ」が、人間という動物「弱さ」だと感じます。

つまり、私たち人間「心の問題」とは、否定的体験による悪影響と、自分の心自らが作り出す悪影響、この2つ相乗としてあるものだ。これが島野心理学ハイブリッド心理学基本的考えです。
その結果「克服」については、自分の心自らが生み出す心の悪影響側面により強い焦点を当ててその克服にまず取り組むことに主眼置くものにならざるを得ないでしょう。自分心自ら生み出すものであれば、自分自身によってその解消克服可能となる範囲があるはずですし、否定的体験による悪影響だと感じていた問題側面でさえ、そこに入ってくるかも知れません。そしてそもそも、自分に、確かに、過去何らか否定的体験による悪影響があることが事実だとして、その過去否定的体験そのもの変えることはできないのですから。
だからとにかく、私たち自身問題あることを自覚した時、私たちはそこにある、私たち自身心自ら作り出している問題側面取り組んでいくしかないのです。

「ならざるを得ない」という言い回しをしましたが、これはある含み持つものだと言えます。それは、実際のところそうした「心の問題」として、否定的体験による悪影響として最後まで自分では克服解消できない側面あり得る、ということです。それについては、どうしようもない。
そして今でこそ言えるのです。私島野場合もそうだったのだと。その悪影響とはであったのかも。
一方、そうして最後まで自分では解消できなかった悪影響あった上で、ナイマス要素がほぼゼロの境地至った。私たち人間にはそうなる仕組み用意されている、というものを含むものであるところにこそ、私の心理学意義があるのかも知れません。


「心」と「魂」と「命」

その仕組みとはどのようなものか、一言でこのように言えます。まず自分心自ら作り出す悪影響取り組み、それを克服し、開放し、自己人生へと大きくまい進するのです。自分心自ら作り出すものではない本当に心の外部からもたらされた悪影響どのようにあるのか見分けられるようになるのはそこからであり、しっかりとそれに向き合い続けた時自分では克服解消できない側面を、「自分」を超えるものが超えさせていくのです、と。

2つ要点記しておきましょう。まずこの仕組み働きは、人生全体を通して歩むものであること。まず自分心自ら作り出す悪影響克服するまでが人生前半自己人生へのまい進で、自分では克服解消できない側面「自分」超えるもの超えさせていくというのが人生後半になる、というようなでです。
このことを踏まえた時、「人間は心を壊しやすい動物」だと述べたのに続くこととして、こう言えるのだということです。「心の問題」というものが起き、それを抱えて生き、その克服へと歩むことは、私たち人間の「人生」に元から組み込まれていることなのだ、と。ただ外部からもたらされた否定的影響問題としてあるものではなく、です。
「心の問題」の克服の、全ての一歩一歩が、「成長」としてあるということだとも言えます。このことを忘れた時「心の問題」溺れてしまうのだ、とも言えるでしょう。

もう一つ「自分を超えるもの」と述べたものとはか。それがこのブログ表題にも記している「魂」であり、そして「命」です。
それが、私たちが普段「自分の心」として意識し、働かせているものとは、異質世界のものとしてある、ということです。
私たちの「心」奥底眠っている、もう一つ世界、とも言えるようなものとして。

前述の通り、この仕組み詳しい考え方などについては心理学サイトの方に譲り、この日記ブログとしての事例記述徹するという前提で、最低限踏まえておく必要のある理屈事項については詳しいあらすじ編などで触れていきたいと思いますが、ここでまずこれ指摘したいと思います。
「否定的体験による悪影響として最後まで自分では克服解消できない側面」、そしてそれを「自分を超えたものが超えさせていく」というのは、私たちの出生における「魂」起きた問題によるものであり、そしてのちに、「魂」との向き合いとして歩んでいくものなのだということです。

このことを踏まえて、場合の、「否定的体験による悪影響として最後まで自分では克服解消できなかった側面」であったのか、そしてそれを「自分を超えたものが超えさせていく」という歩みどのよう生まれたのか、その核心かなり絞ることができるように感じています。
この結論として今感じるものを次に。
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私にあった「心の問題」そしてその解決とは何だったのか-1
経緯を振り返って

人生について多少詳しいあらすじを書くに、私の心に起きた問題とは結局何だったのか、そしてその克服解決とは何だったのかについて、少し振り返っておこうと思います。

印象深く思い出すのは、心理学へと進路を切った大学2年自分です。大学1年高校時代対人恐怖振り切り「躁の時代」自ら名づけ高揚状態生きていた自分訪れた、意識破綻へと陥る出来事自分の心には何か問題がある・・。そうはっきり自覚し、心理学精神分析学精神病理学脳生理学を、むさぼるように勉強始め(*)。まあこれは冗談ですが、その時勉強姿勢受験勉強向かっていたら、東大医学部だって行けたのではなかったかなと。まあともあれ、その頃自分思い出すと、「4つの「別の人間」を生きた人生」でも触れましたが何かじんとくるものがあります。
*『悲しみの彼方への旅』 P.40

いずれにせよその時には何も見えていなかったわけです。自分にある問題正体も、その解決がどうあるのかも。はそれを、学問的探求模索するを、選んだのです。ただ、そうする以外ないという、「悲壮な切迫感」とも言えるものに押されて。
そこで自分内面向かおうとしていた姿は、からはあるいは、「考えすぎなのでは?」揶揄されるようなものでもあったように思い返されます。何かはっきりした問題があるようでもない。でも何か問題があると見入ろうとばかりしている。そんなのはやめて、ただ外に向かって心を開いていけばいいのだよ。そんな聞こえてくるような。
それでものその探求姿勢は、自分厳然とあった問題自らあばき晒すことへと向かっていきます。そしてそれから長い歳月・・40年歳月に、全ての問題が解決、克服される時が、訪れるのです。

そうして「自分の心の問題」向き合い始め、いまだ問題正体見えず「考えすぎでは?」というイメージ浮かぶ中、それでも、もはや自分問題ない振り続けることはできない、という苦しみ置かれたわけです。そもそも今まで自分の心に問題がない振りをしようとして生きてきたのが破綻した結果が、それなのですから。
そこで感じた問題を、こう表現できると思います。人との関係で、自分の心に、問題を感じてしまっているのが、問題なのです。そんなものは感じずに人と自然に接することができるのが、あるべき姿だった。でもそうはできなかったのです。
との関係自分問題感じている自分ここいることにおいて、もう向かうことができないという、厳然とした問題そこあるのです。向かうべきは、自分自身になります。

そうして、問題ない振りをして生きるのとはまさに対極180度逆向いた自分の心にある問題の核心とは何なのか!突きとめようとする生き方向かう中で、がまず出会い選んだのがカレン・ホーナイ精神分析でした。それによって、今まで心飛び交いながらしっかり捉えることのできなかった感情凝視し、向き合うことへと。心理学科のある編入先大学でのもう一つ出会い一級下女子学生への恋心への向き合いに。
それがやがて「躁の時代」においては完全葬り去られ隠されていたような、深い悲しみと絶望の感情あらわにさせ、決意する心境悪化へと2度陥ります。その2度心境悪化都度偶然に・・しかもその2度最後となるで、その下級生会って話す機会て、はなんとか生き続けることへと踏みとどまり、ただ「意識」だけ死ぬ時間経て目覚め「健康な心」への大きな再生起きていました。(この顛末詳しく綴ったのが最初出版本『悲しみの彼方への旅』です。)

つまりこれは、進んだ道にあった落ちてしまったのですが、進んでいた道正しかったのです。落ちたことも含めて。ただ絶望しきってしまったのは誤りだった。
そのとは、病んだ心が自らに絶望し崩壊し、その後健康な心が再生するという通り道です。この仕組みについては詳しいあらすじ編多少触れたいと思いますし、心理学サイトの方で詳しい理論的説明など展開していますが、心の病みの傾向というのはそのようにして治癒する仕組みがあるということになります。
そこで重要になってくるのは、病んだ心が自らに絶望し崩壊するとして、その後健康な心が再生するための芽がどう保ち続けられているかになるでしょう。場合、それが強く保たれていたように感じます。残され保たれていた、純粋感情健康への願い、そしてただ感情流されだけではない思考など。そうした保たれていた一方、意識の表面は、落ちた絶望すっかりおおわれてしまった。外部的偶然が、それを救った思い返すと、何か神の手働いていたようにも思えるようなものとして・・。
そうして健康取り戻した体験を、自ら心理学的整理し、「ハイブリッド人生心理学」と名づける新しい心理学として展開するようになったのが島野です。もしその大学生当時からこの心理学得られていれば、もう少し安全に(?)健康回復する取り組みができていたようにも。そんな意義一つ目的に、この心理学執筆発信活動続けています。

そうして病み傾向大きく治癒されたものの、自分問題として感じるマイナス感情はまだ色濃く引き続きその克服探求のため早稲田大学大学院進学論理療法認知療法など新たな心理学への出会いもあり、次第状態上向き自分取り組むためにもと、研究室ではなく社会出ることを選択
そこから長い長い歳月経て、この「プロローグ」カテゴリー内の「一番大きなあらすじ」記事ごく輪郭まとめたように、「老年」視野入ってきた日々至り自分あらゆるマイナス要素消えたのを感じるという経緯です。

そうして全て問題解決克服されたと感じてこそ、そこにあった「問題」とは何だったのかの全てが、分かるように感じています。
その具体的内容についてに。
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